2012年10月5日金曜日

覚悟と信じること

たくさん人を傷つけて、たくさん自分の心も傷つくと、
もう傷つきたくもないし、傷つけたくもないと思う。
裏切られたくもないし、裏切りたくもない。
自分をさらけ出すのが怖くなったり、
自分で自分が嫌になり、
ぶつかることから、逃げてしまいそうになっていた。

けど、そうじゃないと心のどこかで思っていた。

人を信じられる人でいたいと思う。

今日、Twitterをふわふわって読んでたら、心にささる言葉があった。
「人に裏切られたと思い、自分を閉ざすことは、その人に依存しすぎていたからではないか。」ということ。

人はひとりひとり、考え方も感じ方も、想いも、迷いも、いいところも、悪いところもある。自分とは、違う。だからこそ、ひとりひとりが存在する。
そこがわかっていれば、裏切られたという考え方がおかしいとなる。
裏切られたと落ち込んだり、悲しんだりしてしまうのは、本当にそこをわかっていないから、ではないだろうか。
違うんだということを受け入れること、覚悟があってこそ、はじめて人と人が一緒に何かを始めたり、作ったり、同じ時間を共有したり、それぞれの時間を大切にしたり、できるんだと思った。

そう、覚悟。
そして、自分のことを知ること。


そうすると、まわりの世界がちょっと変わって見えてきた。
うん、みんなそれぞれ。いろいろ。
だから、面白いし。
生きていくんだなと思った。

私の今の心は、どんだけ傷ついても、誰かを傷つけてしまっても、
正しいと思うことは伝えたいと思う。
嬉しいと思うことは伝えたいと思う。
そして、人を信じれる人でいたいと思う。




1 件のコメント:

  1. 一度も傷ついたことのない人はいない。
    また、一度も人を傷つけたことのない人もいない。
    絶対に自分は裏切られないと自負できる人などいない。
    そしてまた、絶対に自分は人を裏切らないと言い切れる
    人もいない。

    それは、人が完璧ではないから。
    完璧な人などこの世にはいないから。
    そして、自分もまた不完全な人間だから、
    時と場合によれば、どちらの自分にも成り得ると思う。

    傷つけば誰でも悲しい。
    裏切りだと気付いたら、誰でも悔しい。

    悲しい時はとことん悲しめばいいと思う。
    悔しい時はとことん悔しめばいいと思う。

    とことんまで落ち込んだら、後は浮上しよう。

    悲しみや怨念や憎しみの壷の中でうずくまるのだけは
    やめよう。
    それは、自分を腐らせてしまうだけ。
    壷の中で腐敗していく自分を見ているのはもっと悲しい。

    傷ついたぶんだけ、人はご褒美をもらえるんだ。
    傷つけたぶんだけ、人は人の痛みを知る勉強をするんだ。

    どんなことにも意味はある。
    どんなことにもちゃんと自分のために答えは用意されてる。

    さあ、とーんとつま先で底を蹴って、軽やかに浮上しよう。
    海面はもうすぐ、目の前に見えてる!





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